1757年のプラッシーの戦い、1765年の徴税権(ディーワーニー)獲得を経て、ベンガル地方は事実上イギリスの支配下に置かれました。当初は東インド会社による統治でしたが、1858年のインド大反乱後、支配主体は正式にイギリス王室へ移行し、ベンガルはイギリス領インド帝国の中核地域となります。
ベンガルは、
・最初に植民地化された地域
・最も富を吸い上げられた地域
・最も早く近代教育と民族運動が発達した地域
という三重の意味で、イギリス支配を象徴する存在でした。
イギリス支配下で最も大きく変化したのは、経済構造です。
ベンガルはかつて、
・農業
・手工業
・国際交易
がバランスよく発達した地域でしたが、イギリスはこれを原料供給地・消費市場として再編しました。
綿花、ジュート、インディゴ(藍)などの換金作物栽培が強制され、食料生産は後回しにされます。この結果、農村経済は慢性的に不安定化しました。
1793年に導入された「恒久地租制度(パーマネント・セトルメント)」により、地主(ザミンダール)が固定化されます。
これは徴税効率を高めるための制度でしたが、
・農民の土地喪失
・地主による搾取
・農村の貧困固定化
を招き、ベンガル社会に深刻な格差をもたらしました。
イギリス支配下のベンガルでは、18世紀後半から19世紀にかけて大規模な飢饉が繰り返されます。
特に深刻だったのが、
・1770年のベンガル大飢饉
・1943年のベンガル飢饉
です。
これらの飢饉は単なる自然災害ではなく、
・重税
・穀物流通の統制失敗
・戦時政策
といった植民地行政の構造的欠陥によって被害が拡大しました。
数百万人規模の犠牲者を出したこれらの出来事は、ベンガル人の間にイギリス支配への根深い不信感を植え付けました。
一方で、イギリス支配は都市部に大きな変化ももたらします。
カルカッタ(現在のコルカタ)は、1772年以降、英領インドの実質的首都として整備され、
・行政機関
・裁判所
・大学
・港湾
が集中する巨大都市へと成長しました。
この都市化は、
・インフラ整備
・近代教育
・出版文化
の発展を促し、ベンガルはインドで最も早く「近代知識人層」が形成された地域となります。
19世紀前半から後半にかけて、ベンガルではいわゆるベンガル・ルネサンスと呼ばれる知的運動が起こります。
英語教育を受けたベンガル人知識人たちは、
・啓蒙思想
・自由主義
・合理主義
に触れ、社会改革を志向するようになります。
この時代、
・宗教改革
・女性教育
・慣習批判
が活発化し、ベンガルは「インド思想の中心地」としての地位を確立しました。
ベンガルは、インド民族運動の最初の震源地でもありました。
1905年、イギリスは行政効率化を理由にベンガル分割を実施します。
この分割は、
・ヒンドゥー多数地域
・ムスリム多数地域
を分けるもので、事実上の分断統治策でした。
これに対し、ベンガル全域で激しい抗議運動が起こり、
・スワデーシー運動
・ボイコット運動
が展開されます。
この運動は、インド全土に民族主義を波及させる起点となりました。
イギリス支配後期になると、ベンガル社会では宗教共同体の分化が進みます。
植民地行政は、
・宗教別統計
・選挙制度
・行政区分
を通じて、人々を「ヒンドゥー」「ムスリム」として分類しました。
これにより、
・経済格差
・教育機会
・政治参加
を巡る不満が宗教対立として表出するようになります。
ベンガルは、共存と融合の歴史を持つ地域でしたが、植民地後期にはその均衡が次第に崩れていきます。
イギリス支配下のベンガルでは、
・都市の近代化
・農村の停滞
という二重構造が固定化しました。
都市では、
・官僚
・弁護士
・教師
・ジャーナリスト
といった中産階級が形成されましたが、農村部では貧困と土地喪失が続きました。
この格差は、後の政治的不安定の温床となります。
第二次世界大戦期、ベンガルは戦略的後方拠点となり、
・食料徴発
・輸送統制
・物価高騰
が急激に進みます。
1943年のベンガル飢饉は、この戦時体制の中で発生しました。
行政の対応は遅れ、数百万人が命を落とします。
この出来事は、
「イギリスはインド人の生命を守らない」
という認識を決定的なものにしました。
1947年、イギリスはインドから撤退し、
・インド
・パキスタン
が分離独立します。
この際、ベンガルは再び宗教を基準に分断され、
・西ベンガル(インド)
・東ベンガル(パキスタン、後のバングラデシュ)
に分かれました。
これは、イギリス支配期に形成された宗教政治構造が、最後に生み出した帰結でした。
イギリス支配は、
・近代教育
・法制度
・インフラ
をもたらしましたが、それ以上に、
・経済的収奪
・社会構造の歪み
・宗教分断
という深刻な負の遺産を残しました。
特にベンガルは、
「最も富を生み、最も失った地域」
であったと言えます。
イギリス支配下のベンガル地域は、
・植民地支配の実験場
・近代インド思想の揺籃
・民族運動の出発点
という三つの顔を持っていました。
この時代を理解することは、
・なぜベンガルが分断されたのか
・なぜバングラデシュが言語と文化を重視する国家となったのか
・なぜ現在も経済格差の影響が残るのか
を理解する上で不可欠です。
イギリス支配は終わりましたが、その影響は今もベンガル地域の政治・社会・意識の深層に残り続けています。